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社長インタビュー

私はピンチでも前向きでいられる。アイデア1つで、乗り越えられるからー経営者たちの修羅場土壇場正念場

2022/07/01

株式会社カクヤスグループ 代表取締役社長 佐藤順一
株式会社カクヤスグループ 代表取締役社長 佐藤順一

同業や大型チェーンがやらないことをやる

 1998年、酒販業界に激震が走りました。政府は、酒類小売業の規制緩和を閣議決定。それまで酒類小売業免許には人口や距離の要件があり、新規の免許はほぼ下りませんでした。高い参入障壁が酒販店を守っていましたが、規制緩和で2003年までに免許が完全自由化されることになったのです。

 業界は猛反発でした。これまで免許を持っていなかったスーパーがお酒を売るようになると、価格勝負で負けることは目に見えています。

 危機感を持っていたのはカクヤスも同じです。当時、前身の「スーパーディスカウント大安」は都内で30店舗弱を擁するチェーンになっていました。ディスカウントといっても、スーパーが客寄せのためにやるセール価格には勝てません。入手困難な地酒を集めて品揃えで勝負する道もありましたが、市場がニッチすぎて、すでに約30店舗あるチェーンが取れる戦略ではなかった。まさに八方塞がりです。

 生き残るには、付加価値を高めて勝負するしかない。そう考えて生まれたアイデアが、都内どこでも2時間以内にビール1本からーーつまり「エリア、時間、ロット」の条件をなくした配達でした。やり方は後から知恵を出して考えればいい。とにかく他がやらないことをやろうと考えて、バリアフリーの配達を打ち出したわけです。

 業界内で本当にそんなことができると信じていた人は一人もいなかったでしょう。ただ、私自身はやれる目算がありました。大安は他のディスカウント店と違って配達を手掛けていて、しかもすでにロットの条件なしを実現していたからです。

 我が社がディスカウントの業態に進出したのは1991年でした。もともと業務用の酒販店で成長しましたが、バブル崩壊で顧客の飲食店が次々に倒産。不良債権の山となり、一気に経営が悪化しました。起死回生のためにBtoCに進出しようと、ディスカウント業態に挑戦しました。

 社長だった父は新業態に反対でした。当時の業界は完全に売り手目線。たとえばビールの自販機を店頭に置くときも、「冷やし代で10円上乗せする」と不思議なルールを決めて組合加盟店に守らせていたくらいです。仲良しクラブの組合から見ると、そのころ台頭し始めていたディスカウント業態は攻撃対象。組合の役員を務めていた父からは、「俺の顔をつぶすつもりか」と止められました。

 しかし、BtoBだけでは会社が立ち行かなくなります。半年かけて父を説得して、コンビニ跡地に一号店を出しました。同業からは総スカン。交流も途絶えてしまいました。

 配達はこのときから始めました。一号店は住宅街の中で駐車場がなく、郊外の大型ディスカウント店に比べると立地が悪い。勝つには大型店がやらないことをやろうと考えたからです。

 配達エリアは、店舗から半径1・2㌔です。1㌔でもよかったのですが、それだと近所の団地をすべてカバーできないため少し広げました。配達料は300円。1時間に3〜4件配達に行って人件費が出ればいいと考えて適当に決めた数字です。

 いざ始めると、配達の注文は期待していたほど入りませんでした。郊外の大型店を競合に想定していましたが、そもそも商圏が重なっていないので、差別化戦略にならなかった。実際、配達は売り上げの1割未満。業務用の縮小で人や車両が余っていたから続けていたようなものです。

 お客様からの評価も高くなかったです。「配達料を取るのか」という声が相次いで、まず「1万円以上は配達料無料」にしました。それでも不満の声はやまず、段階的に条件を下げていきました。とどめは、3000円まで下げた後に登場した発泡酒です。発泡酒一箱だと条件を満たさないので、思い切って条件なしで無料配達に。とうとうロットの縛りをなくしました。

 経済合理性を考えたら、ありえない決断です。ただ、お客様が喜んでくれるなら、その期待に応えたい。とにかくその一心です。

 ロットの縛りをなくした後、ミネラルウオーターを毎日一本注文してくださるおばあさんがいました。配達員との会話が楽しみでご注文いただいていたようです。現場からそうした声を聞くたびに、経済合理性にとらわれなくてよかったと思えました。

カクヤスの前身である「スーパーディスカウント大安」。安く売る以外の付加価値がどこにあるのか、模索した。
カクヤスの前身である「スーパーディスカウント大安」。安く売る以外の付加価値がどこにあるのか、模索した。

やりきる以外に生き残る道はない

 さて、話を戻しましょう。ロットの縛りをなくした成功体験があったので、自由化が決まったとき、エリアと時間の縛りも必ずなくせると考えました。方法は単純です。東京23区の面積を商圏1・2㌔で割れば137店舗。あと約100店出せば、都内どこでも短時間でお届けが可能です。

 自由化までの約3年間で、毎年30店舗ずつ店を出すーー。30店舗弱の会社が打ち出す戦略としては無理があったのかもしれません。出店攻勢をかけた結果、会社は大ピンチに陥りました。

 それまでやっていたディスカウント業態は価格勝負でした。チラシで激安を打ち出せばすぐにお客様がついて、たいていは出店から半年後には黒字化できました。一方、大安から転換した「なんでも酒やカクヤス」は付加価値勝負で、一回利用していただかないと価値が伝わらず、そう簡単に黒字化しない。私は半年で黒字化する前提で資金繰りを考えていたので、途中でキャッシュが足りなくなってきたのです。

 100店舗出した時点で、まだ3分の2の店が赤字でした。ある役員から「本当に会社にお金あるの?」と聞かれたときは嫌な汗をかきましたね。会社にお金はなかったのですが、やりきる以外に生き残る道はない。素知らぬ顔で「大丈夫」と答えたことを覚えています。

 最後に助けてくれたのは父でした。銀行が貸してくれないので父に相談にいくと、「投資は回収するからこそ意味がある。おまえのはいつまでたっても先行投資だ」と嫌味を言いながらも、大金の入った預金通帳を預けてくれました。あのお金がなかったら危なかったでしょう。

 2003年に配達網が完成してからも、宅配は赤字が続きました。転機は、ある若手社員の提案です。

「家庭用の配達網が完成したのなら、それを使って飲食店にも配達したらどうか」

 このアイデアには膝を打ちました。
飲食店は基本的にお酒を酒屋からルート配送してもらいます。ただ、団体客が入るなどして急にお酒が切れることもあります。そのときすぐお酒を届けたら喜んでもらえるはずです。

 試しに飲食店にチラシを配ったら、注文が殺到しました。足りなくなったときの単発の注文でも、飲食店が発注する量は家庭用より多い。当時の客単価は家庭用が約4600円であるのに対して、業務用は約7800円です。業務用宅配を始めたところ、それまで10年以上かけてつくってきた家庭用宅配の売り上げを2年半で追い抜き、06年にようやく黒字化しました。それまでずっと細い尾根の上を歩いている気分でしたが、黒字化してやっと一息つけた気がします。

 私たちを救ってくれた業務用宅配の売り上げは、今回のコロナ禍でほぼ消滅です。飲食店は自粛で補助金が出ますが、酒販店に特別な補填はありません。免許自由化以来の修羅場です。

 しかし、この危機は家庭用宅配を進化させるチャンスです。実際、お酒以外のアイテムを増やすなどして売り上げを伸ばしています。危機にあっても前向きでいられるのは、アイデアによって厳しい時期を乗り越えた経験を重ねてきたからです。業務用が戻ってきたとき、カクヤスはものすごく強い会社になっているでしょう。いまから楽しみでなりません。

株式会社カクヤスグループ 代表取締役社長
佐藤順一

1959年、東京都生まれ。81年筑波大学卒業後、カクヤス本店(現カクヤス)に入社。93年に同社3代目社長に就任。


株式会社プレジデント社発行 プレジデント 2022年6月17日号
村上 敬=構成 黒坂明美=撮影
URL:https://www.president.co.jp/

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